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かの有名な「Serenity Prayer」(ラインホールド・ニーバー)の言葉が、以前は心に響かなかったけれど、馬齢を重ねたこともあり、最近になって、実に身につまされる。
先に断っておくと、「ニーバーの祈り」と言えば、アルコール依存症を連想させるが、僕はお酒を一切飲まないことから、別の意味において、身につまされる、ということです。
ご存じないという方のために、下記に少しだけ引用すると、
God,give us grace to accept with serenity the things that cannot be changed,(以下略)。
「変えられないものを穏やかに受け入れる」。それが人生において、いかに難しいかを知っている。「変えられるものと変えられないものを区別する知恵」にいたっては、なおさらだ。
なるほど、ニーバーの祈りが多くの人たちを励まし、勇気付けて、影響を与えたと聞けば、頷かざるを得ない。
「心の痛み」と文字にして表現すれば、陳腐極まりないけれど、ニーバーの祈りは、確かに僕にとっても、そのようにして今、目の前にあり、それを読んでいる。
以下は余談。
今日の午前中は栄地区を歩いた。休日(日曜日)であり、台風の接近も関係してなのか、各所で見事なまでに人の姿が少なかった。
東海地区のさまざまなスポットをレポートするコーナー。円空仏や岡本太郎、全国消防カードといった僕が大好きなものを通じて、ツーリングの楽しさを伝える、ちょっとした埋め草のようなブログです。
2018年9月30日日曜日
2018年9月27日木曜日
vol.1715 今日読んだ本 8冊
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今日はいつもお世話になっている「円空仏彫刻・木端の会」のMさまから頂戴した本を読みました。
下の写真にある7冊がそれで、画面上の岩波文庫の2冊は既に目を通していたことから、久しぶりの再読となりました。
画面左上の幸田露伴については、以前の更新(vol.453)でも触れました。巻末にあった中公文庫目録(一九七七年二月)に記されている作家名に時代を感じました。
『庶民のほとけ(観音・地蔵・不動)』に目を通すと、懐かしい地名や僕の知らないことが記されており、楽しく読んで勉強になりました。僕は観音菩薩を拝むけれど、地蔵菩薩と不動明王には手を合わせることが少ないことに気が付きました。
上記の他にも『ネヘミヤ記』を読みました。
こうして本ばかり読んでいるから、僕はダメなのでしょうね。
今日はいつもお世話になっている「円空仏彫刻・木端の会」のMさまから頂戴した本を読みました。
下の写真にある7冊がそれで、画面上の岩波文庫の2冊は既に目を通していたことから、久しぶりの再読となりました。
画面左上の幸田露伴については、以前の更新(vol.453)でも触れました。巻末にあった中公文庫目録(一九七七年二月)に記されている作家名に時代を感じました。
『庶民のほとけ(観音・地蔵・不動)』に目を通すと、懐かしい地名や僕の知らないことが記されており、楽しく読んで勉強になりました。僕は観音菩薩を拝むけれど、地蔵菩薩と不動明王には手を合わせることが少ないことに気が付きました。
上記の他にも『ネヘミヤ記』を読みました。
こうして本ばかり読んでいるから、僕はダメなのでしょうね。
2018年9月26日水曜日
vol.1714 文化遺産カード(v.弐カード)の試験配布
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久しぶりに公共配布カードの話題を。
文化遺産カードの公式ホームページに先月末、「重要なお知らせ」と題して、(1)文化遺産カード第一次カード制作の終了。(2)第二次カード(v.弐カード)制作を開始。(3)v.弐カードの試験配布、とあったことから、今日の午前中、配布場所である青塚古墳ガイダンス施設へ行き、試験配布されている青塚古墳と青塚砦の文化遺産カード(v.弐カード)をゲット。
下の写真がそれで、2つのカードはそれぞれ4.0から4.01へ、2.01から2.02へとバージョンアップされていました。
青塚古墳ガイダンス施設にて、親切に応対していただいた職員さんの口から、「紙の材質が変わって、カードの角が丸くなり、裏面に新たに『弐』と記されています」との説明を受けました。
今回の告知を読んで、文化遺産カードの配布が継続されることを喜びたいと思います。
以下は余談。
この世は試練の連続で、悩みが絶えず、僕には修行の場としか思えない。今週になって、人生は諦めが肝心で、また、一日一日の積み重ねである、そのことを否応なく思い知らされました(立て続けに胃薬を飲んでいます)。
久しぶりに公共配布カードの話題を。
文化遺産カードの公式ホームページに先月末、「重要なお知らせ」と題して、(1)文化遺産カード第一次カード制作の終了。(2)第二次カード(v.弐カード)制作を開始。(3)v.弐カードの試験配布、とあったことから、今日の午前中、配布場所である青塚古墳ガイダンス施設へ行き、試験配布されている青塚古墳と青塚砦の文化遺産カード(v.弐カード)をゲット。
下の写真がそれで、2つのカードはそれぞれ4.0から4.01へ、2.01から2.02へとバージョンアップされていました。
青塚古墳ガイダンス施設にて、親切に応対していただいた職員さんの口から、「紙の材質が変わって、カードの角が丸くなり、裏面に新たに『弐』と記されています」との説明を受けました。
今回の告知を読んで、文化遺産カードの配布が継続されることを喜びたいと思います。
以下は余談。
この世は試練の連続で、悩みが絶えず、僕には修行の場としか思えない。今週になって、人生は諦めが肝心で、また、一日一日の積み重ねである、そのことを否応なく思い知らされました(立て続けに胃薬を飲んでいます)。
2018年9月23日日曜日
vol.1713 「円空上人の心を伝える会」の始動を祝して
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昨日の午後は長谷川公茂先生とお会いして、楽しい円空談義で、幸せな時間を過ごしました。そして、長谷川先生から嬉しいお知らせがありました。
これからは永年にわたって学んだ円空の思想と信仰を正しく伝えるために「円空上人の心を伝える会」として、微力ではあるが行動を始めようと決心し、その手始めに私と舩橋氏が最初に感激した音楽寺の諸像を小冊子に纏め紹介する事にしました(「はじめに」引用)。
下の写真がそれで、「円空上人の心を伝える会」が発行する『音楽寺の円空仏』です。
以前からお話をお聞きしていた長谷川先生と先生の親友である舩橋様が進めていてたプランがこうして本格的に動き出しました。続く第2集、第3集と、僕は今から楽しみにしています。
追記 『音楽寺の円空仏』は10月24日から江南市にある「すいとぴあ江南」にて入手できます(頒布 1000円)。詳細については、「円空仏彫刻・木端の会」のホームページ内に記載されています(参照)。
昨日の午後は長谷川公茂先生とお会いして、楽しい円空談義で、幸せな時間を過ごしました。そして、長谷川先生から嬉しいお知らせがありました。
これからは永年にわたって学んだ円空の思想と信仰を正しく伝えるために「円空上人の心を伝える会」として、微力ではあるが行動を始めようと決心し、その手始めに私と舩橋氏が最初に感激した音楽寺の諸像を小冊子に纏め紹介する事にしました(「はじめに」引用)。
下の写真がそれで、「円空上人の心を伝える会」が発行する『音楽寺の円空仏』です。
以前からお話をお聞きしていた長谷川先生と先生の親友である舩橋様が進めていてたプランがこうして本格的に動き出しました。続く第2集、第3集と、僕は今から楽しみにしています。
追記 『音楽寺の円空仏』は10月24日から江南市にある「すいとぴあ江南」にて入手できます(頒布 1000円)。詳細については、「円空仏彫刻・木端の会」のホームページ内に記載されています(参照)。
2018年9月22日土曜日
vol.1712 月に一度のボランティア
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先週末、お誘いの声を掛けていただき、また一つ、月に一度の割合で、ボランティアを新しく始めることになった。
ということで、今日の午前中は某所へ行き、下の写真にあるように約1時間のお掃除です。
僕は今もそうした(月に一度の割合の)いくつかのボランティアに携わっている。人様の面倒を見ている場合じゃない身分なことは分かっているけれども、それでも僕を必要としてくれる場所があることが嬉しい。
ちなみに、僕が携わっているボランティアはいずれも会社とか、町内などとは全く関係のない(自分の身近ではない)ボランティアである(もちろん、交通費等は自分持ちです)。
以下は余談。
ブログの更新が滞っていると誤解されているようだけれど、いわゆる別の場所では、ほぼ毎日のように充実した記事を更新しています(ご心配をお掛けして、大変申し訳ありません)。
先週末、お誘いの声を掛けていただき、また一つ、月に一度の割合で、ボランティアを新しく始めることになった。
ということで、今日の午前中は某所へ行き、下の写真にあるように約1時間のお掃除です。
僕は今もそうした(月に一度の割合の)いくつかのボランティアに携わっている。人様の面倒を見ている場合じゃない身分なことは分かっているけれども、それでも僕を必要としてくれる場所があることが嬉しい。
ちなみに、僕が携わっているボランティアはいずれも会社とか、町内などとは全く関係のない(自分の身近ではない)ボランティアである(もちろん、交通費等は自分持ちです)。
以下は余談。
ブログの更新が滞っていると誤解されているようだけれど、いわゆる別の場所では、ほぼ毎日のように充実した記事を更新しています(ご心配をお掛けして、大変申し訳ありません)。
2018年9月18日火曜日
vol.1711 この世の有様は過ぎ去る
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先週末(一昨日の16日)で、ちょうど一ケ月が経った。
定点観測ではないけれど、以前の更新(vol.1699)と比較してみたら、空が夏から秋へ、過ぎ去った台風21号により桜の葉がめっきり少なくなっていた。
下の写真がそれで、画面奥は(言わずもがな)テレビ塔です。
この数年間、僕の周囲はあたかも漱石の『道草』の結末のようで、主人公である健三の気持ちがよく分かることから、せめても月に一度の大切な休日は大事に過ごたいと心底思う(僕のささやかな願いの一つです)。
以下は余談。
前回の更新(vol.1710)で、物凄くお年寄りに見える、と書きましたが、同日(一昨日の16日)某所にて、30代後半に間違えられて、嬉しいやら、恥ずかしいやら。
先週末(一昨日の16日)で、ちょうど一ケ月が経った。
定点観測ではないけれど、以前の更新(vol.1699)と比較してみたら、空が夏から秋へ、過ぎ去った台風21号により桜の葉がめっきり少なくなっていた。
下の写真がそれで、画面奥は(言わずもがな)テレビ塔です。
この数年間、僕の周囲はあたかも漱石の『道草』の結末のようで、主人公である健三の気持ちがよく分かることから、せめても月に一度の大切な休日は大事に過ごたいと心底思う(僕のささやかな願いの一つです)。
以下は余談。
前回の更新(vol.1710)で、物凄くお年寄りに見える、と書きましたが、同日(一昨日の16日)某所にて、30代後半に間違えられて、嬉しいやら、恥ずかしいやら。
2018年9月15日土曜日
vol.1710 手(の甲)や腕に浮き出る血管について
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人前で彫刻の技を披露すると、当然のことながら、多くの人たちの目に触れるのが、僕の手。ずいぶん前にも同じようなことがあったけれど、自分の手と他人の手を並べて目にする機会があった。そして、自分では何とも思わない、というか、これも僕らしいと密かに思っているのだけれども、他人にはとても驚かれたり、不気味がられることがある。それは僕の手(の甲)や腕に浮き出る血管だ。
下の写真がそれで、僕の手の浮き出た血管を目にしたら、物凄くお年寄りの手に見えるのは、悲しいかな、紛れもない事実。
美容の世界では、「ハンドベイン」と呼ばれているようで、病気ではなくて、手の血管が浮き出る原因は加齢(老化)によるものであるとか。つくづく男として生まれてきて良かったと。
中学生の頃、映画館で見たアニメ「風の谷のナウシカ」で、登場するおじいさんが「わしらの姫様はこの手を好きだと言うてくれる。働き者のきれいな手だと言うてくれましたわい」というセリフの出てくるシーンがあるのだけれど、苦労した僕の手を見て、そう言ってくれる人は誰もいない。
ただし、甥っ子や姪っ子がまだ幼かった頃、僕の手の浮き出た血管を目にして、自分たちの手にはないことから、とても不思議がって、指でつまんだりして、面白がっていたのだ。
僕は「手は人生を語る」と考えている。傷ひとつない手だったり、大きな手だったり、しわくちゃの手だったりと、言うまでもなく、いろんな人がいるように、いろんな手がある。
人前で彫刻の技を披露すると、当然のことながら、多くの人たちの目に触れるのが、僕の手。ずいぶん前にも同じようなことがあったけれど、自分の手と他人の手を並べて目にする機会があった。そして、自分では何とも思わない、というか、これも僕らしいと密かに思っているのだけれども、他人にはとても驚かれたり、不気味がられることがある。それは僕の手(の甲)や腕に浮き出る血管だ。
下の写真がそれで、僕の手の浮き出た血管を目にしたら、物凄くお年寄りの手に見えるのは、悲しいかな、紛れもない事実。
美容の世界では、「ハンドベイン」と呼ばれているようで、病気ではなくて、手の血管が浮き出る原因は加齢(老化)によるものであるとか。つくづく男として生まれてきて良かったと。
中学生の頃、映画館で見たアニメ「風の谷のナウシカ」で、登場するおじいさんが「わしらの姫様はこの手を好きだと言うてくれる。働き者のきれいな手だと言うてくれましたわい」というセリフの出てくるシーンがあるのだけれど、苦労した僕の手を見て、そう言ってくれる人は誰もいない。
ただし、甥っ子や姪っ子がまだ幼かった頃、僕の手の浮き出た血管を目にして、自分たちの手にはないことから、とても不思議がって、指でつまんだりして、面白がっていたのだ。
僕は「手は人生を語る」と考えている。傷ひとつない手だったり、大きな手だったり、しわくちゃの手だったりと、言うまでもなく、いろんな人がいるように、いろんな手がある。
2018年9月14日金曜日
vol.1709 すいとぴあ江南の円空彫り講座
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今日の午後は江南市にあるすいとぴあ江南へ行きました。
5回目(最終回)となる円空彫り講座のお手伝いで、とにもかくにも、受講生の皆さんに喜んでいただき、また、刃物を使うことから、誰もケガをしなかったことが幸いでした。
受講生の中から、「来年もぜひ」という声もあり、そうなればいいのにな、と(一人でも多くの人たちに円空さんと円空彫りの楽しさを知ってもらいたいという意味も含めて)。
文末になってしまいましたが、すいとぴあ江南の館長様をはじめとする関係者の皆様には、大変お世話になりました。この場を借りて、お礼申し上げます。
以下は余談。
僕個人としては、もう何年もすいとぴあ江南での円空彫り講座のお手伝いさせていただいていますが、ただし今年に限っては、指導方法などで、多少なりともストレスを感じる内容でした。
今日の午後は江南市にあるすいとぴあ江南へ行きました。
5回目(最終回)となる円空彫り講座のお手伝いで、とにもかくにも、受講生の皆さんに喜んでいただき、また、刃物を使うことから、誰もケガをしなかったことが幸いでした。
受講生の中から、「来年もぜひ」という声もあり、そうなればいいのにな、と(一人でも多くの人たちに円空さんと円空彫りの楽しさを知ってもらいたいという意味も含めて)。
文末になってしまいましたが、すいとぴあ江南の館長様をはじめとする関係者の皆様には、大変お世話になりました。この場を借りて、お礼申し上げます。
以下は余談。
僕個人としては、もう何年もすいとぴあ江南での円空彫り講座のお手伝いさせていただいていますが、ただし今年に限っては、指導方法などで、多少なりともストレスを感じる内容でした。
2018年9月11日火曜日
vol.1708 久しぶりの一宮円空会
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今日の午後は長谷川公茂先生が講師を務める一宮円空会へ顔を出しました。先月の講座は会場となっている多目的室が都合により使えなかったことから、お休みでした。
下の写真は今日の講座のテキストで、『安心決定鈔』です。
さらに『正法眼蔵』菩提薩埵四摂法から、以下の箇所についての講話がありました。
「愛語というは、衆生を見るに、先ず慈愛の心を発し、顧愛の言語を施すなり。慈念衆生猶如赤子の懐いを貯えて言語するは愛語なり。徳あるは讃むべし、徳なきは憐むべし。怨敵を降伏し、君子を和睦ならしむること愛語を根本とするなり。面いて愛語を聞くは面を喜ばしめ、心を楽しくす。面わずして愛語を聞くは肝に銘ず、愛語能く廻天の力あることを学すべきなり」。
今日の午後は長谷川公茂先生が講師を務める一宮円空会へ顔を出しました。先月の講座は会場となっている多目的室が都合により使えなかったことから、お休みでした。
下の写真は今日の講座のテキストで、『安心決定鈔』です。
さらに『正法眼蔵』菩提薩埵四摂法から、以下の箇所についての講話がありました。
「愛語というは、衆生を見るに、先ず慈愛の心を発し、顧愛の言語を施すなり。慈念衆生猶如赤子の懐いを貯えて言語するは愛語なり。徳あるは讃むべし、徳なきは憐むべし。怨敵を降伏し、君子を和睦ならしむること愛語を根本とするなり。面いて愛語を聞くは面を喜ばしめ、心を楽しくす。面わずして愛語を聞くは肝に銘ず、愛語能く廻天の力あることを学すべきなり」。
2018年9月9日日曜日
vol.1707 お礼を言わない子どもたち
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今日の午前中、某所の集会にて、小学生の女の子たちなのだか、お菓子(今回はチョコレート)をあげても、お礼を言わない。僕には子どもがいないので、うかつなことは言えないけれど、今どきの子どもたちは皆、そうなのかと思ってしまう。
先に書いておくと、僕としては、子どもたちが笑顔になってくれたら、それでいいと思っているだけで、お礼を言って欲しいわけじゃないし、強要するつもりもない。
お菓子は子どもたちへ無理にあげている(受け取らせている)わけではないことから、本人も親も欲しくないなら、「いらない」「結構です」と言ってくれたら、それでいいのに、それも言わない。
子どもたちは無表情で、ただ黙って受け取るだけ。実に寂しい。僕はニコニコと笑顔で、チョコレートを配っていたけれど、惨めな気持ちにさえなった。
お礼を言わない子どもたちについて書いたけれど、子どものいない僕には発言権はないのかもしれない。もしそうであるなら、日本社会は少子化により社会全体で子育てを、と叫ばれているけれど、僕には何の係わりもないことだ。
最後に忘れずに書いておくと、お礼を言わない子どもたちについては、子どもは大人を映す鏡だから、原因は僕も含めて、大人たちにあるのだろう。だから僕は、お礼を言わない子どもたちを責めるつもりはない。
以下は余談。
このブログでたびたび登場する甥っ子が小学生だった頃、いつも外出先で、お礼の「ありがとう」を、あまりに大きな声で言うことから、隣にいた僕は驚いたことが何度もあったけれど、今から思えば、あれが正しかったのだ。
今日の午前中、某所の集会にて、小学生の女の子たちなのだか、お菓子(今回はチョコレート)をあげても、お礼を言わない。僕には子どもがいないので、うかつなことは言えないけれど、今どきの子どもたちは皆、そうなのかと思ってしまう。
先に書いておくと、僕としては、子どもたちが笑顔になってくれたら、それでいいと思っているだけで、お礼を言って欲しいわけじゃないし、強要するつもりもない。
お菓子は子どもたちへ無理にあげている(受け取らせている)わけではないことから、本人も親も欲しくないなら、「いらない」「結構です」と言ってくれたら、それでいいのに、それも言わない。
子どもたちは無表情で、ただ黙って受け取るだけ。実に寂しい。僕はニコニコと笑顔で、チョコレートを配っていたけれど、惨めな気持ちにさえなった。
お礼を言わない子どもたちについて書いたけれど、子どものいない僕には発言権はないのかもしれない。もしそうであるなら、日本社会は少子化により社会全体で子育てを、と叫ばれているけれど、僕には何の係わりもないことだ。
最後に忘れずに書いておくと、お礼を言わない子どもたちについては、子どもは大人を映す鏡だから、原因は僕も含めて、大人たちにあるのだろう。だから僕は、お礼を言わない子どもたちを責めるつもりはない。
以下は余談。
このブログでたびたび登場する甥っ子が小学生だった頃、いつも外出先で、お礼の「ありがとう」を、あまりに大きな声で言うことから、隣にいた僕は驚いたことが何度もあったけれど、今から思えば、あれが正しかったのだ。
2018年9月7日金曜日
vol.1706 すいとぴあ江南の展望台から
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今日の午後は先週と同様、すいとぴあ江南へ行き、円空彫り講座のお手伝いをしました。
下の写真はすいとぴあ江南にある展望台から眺めた景色で、画面右奥に名古屋駅の周辺に建つビルがかすかに見えます。
下の写真は同じく展望台から眺めた木曽川の川岸で、NHKの連続テレビ小説「半分、青い。」のロケ地の一つになった場所です。
僕は番組を見ていませんが、話題になった場所ということで、教えていただきました。
今日の午後は先週と同様、すいとぴあ江南へ行き、円空彫り講座のお手伝いをしました。
下の写真はすいとぴあ江南にある展望台から眺めた景色で、画面右奥に名古屋駅の周辺に建つビルがかすかに見えます。
下の写真は同じく展望台から眺めた木曽川の川岸で、NHKの連続テレビ小説「半分、青い。」のロケ地の一つになった場所です。
僕は番組を見ていませんが、話題になった場所ということで、教えていただきました。
2018年9月6日木曜日
vol.1705 Enku Buddhist sculptures
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以前の更新(vol.1662)で書いた「深み 日本の美意識を求めて(A PLUNGE INTO JAPANESE AESTHETICS」)」が無事に閉幕したというお知らせを読みました。
フランスの人たち(観客数36000人)にどれだけ円空さんの素晴らしさが伝わったのか、僕には分かりませんが、ピカソの作品と並べて展示されたらしい。
展覧会図録が展示風景を収録して、来年2月頃に発行されるとのことで、今から楽しみです。
2018年9月2日日曜日
vol.1704 長谷川公茂先生の講演「円空の生涯と笠松」
ブログ「東海・旅の足跡」をお読みいただき、ありがとうございます。
今日の午後は長谷川公茂先生に随行して、羽島郡笠松町へ行きました。
はじめに笠松中央公民館にて、笠松町歴史未来館の開館3周年を記念した長谷川公茂先生の講演「円空の生涯と笠松」を聴きました。
会場には下の写真にあるように長谷川公茂先生が撮影した円空仏の写真パネルが展示されていました。
講演の終了後、笠松町歴史未来館へ移動。
僕が足を運んだのは、昨年の夏(vol.1488)以来で、下の写真は展示されていた笠松町内にある慈眼寺の円空仏です(写真は許可を得て撮影しています)。
文末になってしまいましたが、笠松町長様をはじめとして、関係者の皆様には、大変お世話になりました。この場を借りて、お礼申し上げます。
以下は余談。
僕が決まって長谷川公茂先生の講演へ足を運ぶのは、長谷川先生のお話を耳にすると、いつも元気になるから。前回の更新(vol.1703)の余談に関連して、少し補足しておくと、無量寿から授かった命であることから、どんなに辛くとも頑張って生きなければならないと、長谷川先生から励ましの言葉を頂戴しました。
今日の午後は長谷川公茂先生に随行して、羽島郡笠松町へ行きました。
はじめに笠松中央公民館にて、笠松町歴史未来館の開館3周年を記念した長谷川公茂先生の講演「円空の生涯と笠松」を聴きました。
会場には下の写真にあるように長谷川公茂先生が撮影した円空仏の写真パネルが展示されていました。
講演の終了後、笠松町歴史未来館へ移動。
僕が足を運んだのは、昨年の夏(vol.1488)以来で、下の写真は展示されていた笠松町内にある慈眼寺の円空仏です(写真は許可を得て撮影しています)。
文末になってしまいましたが、笠松町長様をはじめとして、関係者の皆様には、大変お世話になりました。この場を借りて、お礼申し上げます。
以下は余談。
僕が決まって長谷川公茂先生の講演へ足を運ぶのは、長谷川先生のお話を耳にすると、いつも元気になるから。前回の更新(vol.1703)の余談に関連して、少し補足しておくと、無量寿から授かった命であることから、どんなに辛くとも頑張って生きなければならないと、長谷川先生から励ましの言葉を頂戴しました。