2010年10月20日水曜日

vol.329 日本人の死生観について

 ツーリング・レポート「東海・旅の足跡」をお読みいただき、ありがとうございます。

 志賀直哉の『城の崎にて』を再読した。
 「山の手線の電車に跳ね飛ばされて」一命を取り留めた作者が、城崎温泉で養生する3週間の出来事を綴った私小説だ。ストーリーはあまりに有名なことから、説明には及ばないであろう。作中では、蜂の死骸、逃げ廻る鼠、イモリの不意な死が取り上げられている。作者はそれらを「静かさ」「運命」「生き物の淋しさ」と表現している。
 そして文末には、作者が次のように自問自答しながら、生と死について読者に問い掛ける。
 「自分は偶然に死ななかった。イモリは偶然に死んだ。自分は淋しい気持ちになって、漸(ようや)く足元の見える路を温泉宿の方に帰って来た。遠く町端れの灯が見え出した。死んだ蜂はどうなったのか。その後の雨でもう土の下に入ってしまったろう。あの鼠はどうしたろう。海へ流されて、今頃はその水ぶくれのした体を塵芥と一緒に海岸へでも打ちあげられていることだろう。そして死ななかった自分は今こうして歩いている。そう思った。自分はそれに対し、感謝しなければ済まぬような気もした。しかし実際喜びの感じは湧き上がっては来なかった。生きていることと死んでしまっていることと、それは両極ではなかった。それほどに差はないような気がした。…」
 生と死が両極でなく、差はないと感じる作者の心情に対して、読者が呼応するとき、両者の間に橋が架けられて、私小説であるところの『城の崎にて』が成立するのである。

 志賀直哉は最晩年に、「ナイルの水の一滴」と題する小文で、人間の存在について、次のように記している。
 「人間が出来て、何千万年になるか知らないが、その間に数え切れない人間が生れ、生き、死んで行った。私もその一人として生れ、今生きているのだが、例えていえば悠々流れるナイルの水の一滴のようなもので、その一滴は後にも前にもこの私だけで、何万年遡っても私はいず、何万年経っても、再び生れては来ないのだ。しかもなおその私は依然として大河の水の一滴に過ぎない。それで差し支えないのだ。」
 人間(の存在)は誰しも皆、大河の水の一滴だ、と老大家が断言する。
 僕は悠々流れるナイル川をこの目にしたことはない。けれども20歳過ぎに、同じ大河である長江(揚子江)の流れを見たことがある。フェリーの甲板からは、陸(対岸)が見えず、まるで海と同じで、その雄大さに圧倒された。もちろん、それ以前にも、外国を訪れたことはあったけれど、人生でカルチャーショックを受けたのは、後にも先にも、そのときだけだ。
 僕もまた、あの雄大な長江(揚子江)の水の一滴だ、そう考える日が、いずれやって来るのかもしれない。

 取り留めなく書き連ねてしまい、長文、失礼致しました。

 「東海・旅の足跡」は東海地区で発売されている月刊誌『バイクガイド』に連載中のツーリング・レポートです。ご一読いただき、ご感想をお寄せいただければ幸いです。

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