2011年5月1日日曜日

vol.402 ドストエフスキー著・原卓也訳『カラマーゾフの兄弟(上)』(新潮文庫)を再読して

 ツーリング・レポート「東海・旅の足跡」をお読みいただき、ありがとうございます。

 今日から5月。桜の花びらが散って、若葉や青葉といった新緑の季節になると、僕が思い出すのは、次の言葉です。
 
 たとえこの世の秩序を信じないにせよ、俺にとっちゃ、「春先に萌え出る粘っこい若葉(プーシキンの詩『まだ冷たい風が吹く』から)」が貴重なんだ。青い空が貴重なんだよ。

 上に引用したのは、ドストエフスキー著・原卓也訳『カラマーゾフの兄弟(上)』(新潮文庫)の第5編3の「兄弟、近づきになる」から抜粋したイワン・カラマーゾフの台詞です。「実をいうと…」から始まり、イワンが弟のアリョーシャに長々と語りかける場面ですが、ここでイワンは、「人生への渇望」を「ある意味でカラマーゾフ的な一面」と表現して、「生きていたい」と主張します。それに対して、「兄さんがそれほど生きていたいと思うなんて、僕はとても嬉しいな」とアリョーシャが答えます。アリョーシャは、生きることを愛することだ、と説きます。しかし、この世界を認めないイワンは、自分の切符を返すと言い出し、4の「反逆」に転じて、前半のクライマックスである5の「大審問官」へと続いて行きます。
 叙事詩「大審問官」の終わりには、「じゃ、粘っこい若葉は、大切な墓は、青い空は、愛する女性はどうなるんです!どうやって兄さんは、生きてゆけるんです?」と問うアリョーシャに対して、イワンは「どんなことにでも堪えぬける力(カラマーゾフの力)があるじゃないか!」と答えます。イワンはしっかりした声で、「もし本当に俺が粘っこい若葉に心ひかれることがあるとしたら、俺はお前のことだけを思い出しながら、若葉を愛するだろうよ。お前がどこかにいるということだけで俺には十分だし、生きてゆくことにもまだ飽きずにいられるだろう。お前だってそれで十分だろう?」と言うと、兄弟はキスを交わし、7年後の再会を約束して、「さ、それじゃお前は右、俺は左へ行こう」と別れます。
 そして、物語は偉大なゾシマ長老が亡くなり、後半へと続いて行きます。

 以上は僕が再読の印象をもとに、自己流に筋書きを辿り直したもので、ここが上巻で最も興奮させられて、読者としては何度も読み返してみたくなるといった場面ではないかと思います。

 『カラマーゾフの兄弟』は今から約20年前、大学院生の春休みに、3週間ほどかけて読みました。読了後には、主人公アリョーシャをはじめとして、イワンやゾシマ長老、果ては馭者のお国訛りの百姓言葉までが聞こえてくるようで、数日間、放心状態になったことを、今でも覚えています。
 今回は上巻を取り上げましたが、同文庫の中巻と下巻の感想についても、またいつかの機会に記せればと思います。参考までに記すと、数年前に発売されて話題となった新訳は読んでいません。

 「東海・旅の足跡」は東海地区で発売されている月刊誌『バイクガイド』に連載中のツーリング・レポートです。ご一読いただき、ご感想をお寄せいただければ幸いです。

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