今日は月に一度の一宮円空会でした。空模様が心配でしたが、無事に出席できたのは、まさしく円空さんのお導きと思わずにいられません。
今回の講話は『安心決定鈔』における以下の記述を手掛かりとして、「いのち」とは、といった内容でした。
「…しらざるときのいのちも阿弥陀の御いのちなりけれども、いとけなきときはしらず、すこしこざかしく自力になりて、わがいのちとおもひたらんをり、善知識、もとの阿弥陀のいのちへ帰せよと教ふるをききて、帰命無量寿覚しつれば、わがいのちすなはち無量寿なりと信ずるなり。かくのごとく帰命するを正念を得うとは釈するなり…」。
僕は18歳のとき、同じ話を聞いたような気がするのですが、恥ずかしいことに、その際はまさに馬の耳に念仏でした。
以下は余談。
今日もバイクで走っていると、風が冷たく、寒くて辛いのですが、と同時に、ハンドルを握っていると、楽しくて仕方ありません。我ながらバイク馬鹿だと、苦笑せざるを得ません。
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