ブログ「東海・旅の足跡」をお読みいただき、ありがとうございます。
先週末、もっと上達したいと思い、円空彫りの諸先輩から助言をいただいて、彫り出したのだけれど、円空仏を美術品や研究対象、写真の被写体として扱う人たちと同じように私欲が出て、良くない方向へと進んでしまい、元に戻すのが大変だった。
円空さんは母親の供養のために、あるいは困っている人たちのために仏像を彫ったのであり、自分のために彫ったのではないことを忘れていた。円空さんを深く知り、円空彫りをするようになって、人は誰かのために生かされていることを、改めて気付かされたにもかかわらず、情けないかぎりだ。
今朝は指と腕が痛くなるまで、大小の千面菩薩像を何体も彫り続けて、ようやく修正しつつあり、下の写真はほんの一部で、驚くほどのたくさんの木屑が出た。
優しいお顔を彫り、それを人に差し上げて、喜んでもらえれば、嬉しい。
僕は最も大事な円空さんの心に近づきたいという根本を見失いそうになっていた。
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