ツーリング・レポート「東海・旅の足跡」をお読みいただき、ありがとうございます。
今日発売された月刊誌『大法輪』4月号(大法輪閣)の巻頭記事に、千光寺住職である大下大圓氏の書いた「法話 円空の祈りと臨床宗教」が掲載されている。東京国立博物館にて開催中の「飛騨の円空」展に関する記事らしく、この先、上野へ足を運ぶ者として、また、円空さんを敬愛するひとりとして、予習しておかなければと思い、目を通した。
内容の紹介については、未読の方が大勢だろうから、差し控えることにしたい。
感想としては、東日本大震災に関連して、「二十数回にわたって被災地を訪問し、さまざまな形で『こころのケア』にかかわらせていただいた」とする大下ご住職の体験が語られていた。また、アニミズム等についても取り上げられていた。この点に関しては、僕も大学で少しばかり齧っている。書かれていることに関して、表面的な解釈に過ぎないように感じるのは、なぜだろう。
大下ご住職の献身的な活動は、立派な行為に違いない。にもかかわらず、それが現代の宗教家としての限界を、いみじくも露呈しているのではないか。阪神大震災を経験した僕が言えることは、身も蓋もない言い方が許されるならば、坊主の説く「こころのケア」よりも、経済的な支援のほうが、よく効くことを承知している。
誤解の無いように付け加えておくが、以上は、まもなく2年を迎えようとしている東日本大震災に対する僕の感じたことであって、ましてや、大下ご住職への批評ではない。その点は重々お断りしておく。
忘れずに記しておくと、記事を読んでいる最中、長谷川理事長先生の名前が「公成」と間違っていることが、最後までずっと気になって仕方なかった。
上の写真は『大法輪』4月号の表紙で、最下段に「(法話)円空の祈りと臨床宗教|大下大圓」と紹介されています。
以下は余談。
このブログで、『大法輪』4月号を取り上げた理由は、もうひとつあって、それが分かる注意深い読者は、果たしているのだろうか。
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