ブログ「東海・旅の足跡」をお読みいただき、ありがとうございます。
今日の午前中は拙宅に遊びに来ている甥っ子を連れて、年末恒例の知多半島ドライブへ行きました。
下の写真はお土産を購入したえびせんべいの里です。
今回は都合により大野谷虫供養へ足を運びませんでした。
以下は余談。
今年は(ここには詳しく書けませんが)3月下旬、6月上旬、11月下旬、12月上旬に大なり小なりの変化があって、中には尾を引いたりと、 辛くもやり過ごした一年でした。
東海地区のさまざまなスポットをレポートするコーナー。円空仏や岡本太郎、全国消防カードといった僕が大好きなものを通じて、ツーリングの楽しさを伝える、ちょっとした埋め草のようなブログです。
2017年12月30日土曜日
2017年12月28日木曜日
vol.1554 ペット・サウンズ・レコードと Live cafe again 武蔵小山
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前回の更新(vol.1553)からの続きで、過日、東京へ行き、岡本太郎のパブリックアートを目にした後、東急電鉄の武蔵小山駅へ向かいました。
一昨年から、機会があれば、ぜひとも足を運んでみたい場所が武蔵小山駅前にありました。それはペット・サウンズ・レコードと Live cafe againで、どちらも僕が大好きなミュージシャンである村田和人さんと縁の深い場所です。
下の写真はCDショップのペット・サウンズ・レコードで、僕がまだ持っていない村田和人さんのアルバム「Now Recording +」を購入。
続けて、同ビルの地下にあるLive cafe againへ。ここは村田和人さんのライブが行われていた場所で、少し大げさに言えば、僕にとって聖地も同然の場所です。
下の写真はLive cafe againの店内です(許可を得て撮影しています)。
開店前だったのですが、店長の石川様からお声を掛けていただき、入店。コーヒーを飲みながら、時間の許すかぎり、村田和人さんのお話をたくさん聞かせていただきました(その際、恥ずかしいのですが、僕は少しばかり涙ぐんでしまいました)。これはきっと天国にいる村田和人さんが導いてくれたのだ、と。
文末になってしまいましたが、Live cafe againの石川様には大変親切にしていただいたことから、この場を借りて、深くお礼申し上げます(本当にありがとうございました)。
以下は余談。
Live cafe againは知る人ぞ知るミュージシャンの大瀧詠一さんとも縁の深い場所です。大瀧詠一さんの曲の中で、僕が一番好きなのは「探偵物語」です(大瀧詠一さんの大ファンの人には、もっと他にあるだろうと、怒られるかもしれないけれど、理由としては、探偵物語を聴いていると、何だかインスピレーションが湧いてきて、何度でも繰り返し聴きたくなる曲だからです)。
前回の更新(vol.1553)からの続きで、過日、東京へ行き、岡本太郎のパブリックアートを目にした後、東急電鉄の武蔵小山駅へ向かいました。
一昨年から、機会があれば、ぜひとも足を運んでみたい場所が武蔵小山駅前にありました。それはペット・サウンズ・レコードと Live cafe againで、どちらも僕が大好きなミュージシャンである村田和人さんと縁の深い場所です。
下の写真はCDショップのペット・サウンズ・レコードで、僕がまだ持っていない村田和人さんのアルバム「Now Recording +」を購入。
続けて、同ビルの地下にあるLive cafe againへ。ここは村田和人さんのライブが行われていた場所で、少し大げさに言えば、僕にとって聖地も同然の場所です。
下の写真はLive cafe againの店内です(許可を得て撮影しています)。
開店前だったのですが、店長の石川様からお声を掛けていただき、入店。コーヒーを飲みながら、時間の許すかぎり、村田和人さんのお話をたくさん聞かせていただきました(その際、恥ずかしいのですが、僕は少しばかり涙ぐんでしまいました)。これはきっと天国にいる村田和人さんが導いてくれたのだ、と。
文末になってしまいましたが、Live cafe againの石川様には大変親切にしていただいたことから、この場を借りて、深くお礼申し上げます(本当にありがとうございました)。
以下は余談。
Live cafe againは知る人ぞ知るミュージシャンの大瀧詠一さんとも縁の深い場所です。大瀧詠一さんの曲の中で、僕が一番好きなのは「探偵物語」です(大瀧詠一さんの大ファンの人には、もっと他にあるだろうと、怒られるかもしれないけれど、理由としては、探偵物語を聴いていると、何だかインスピレーションが湧いてきて、何度でも繰り返し聴きたくなる曲だからです)。
2017年12月27日水曜日
vol.1553 世界のカバン博物館と岡本太郎の「統」
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前回の更新(vol.1552)からの続きで、過日、東京へ行きました。
下の写真は吾妻橋から見た東京スカイツリーやアサヒビールタワーなどです。
台東区駒形にある世界のカバン博物館を見学しました。
下の写真がそれで、カバンの歴史や文化を紹介したり、著名人の使用したカバン等も展示されていました。
どうして世界のカバン博物館へ足を運んだのかと言えば、ユニークな博物館で興味があったからという理由もあるけれど、実はここにも岡本太郎の作品があると知ったから。
下の写真がそれで、世界のカバン博物館の受付横に展示されている岡本太郎の「統」です。
いつもながら、と言うか、子どもの頃から岡本太郎の作品を目にすると、僕は元気になります。きっとエネルギッシュな太郎さんのパワーが作品を通して、そうさせてくれるのでしょう。
続けて、岡本太郎とは関係のない場所へ向かったのですが、別の話題となることから、次回の更新で。
以下は余談。
僕は都会で育ったことから、東京で暮らしている人が羨ましい。林立する高層ビル群の景色、移動の際のプラットホームや電車内での人間観察、最先端の技術や情報に触れたりと、東京へ行けば、早朝から深夜まで(実際、眠るのが惜しいほどに)見るもの聞くものが飽きず、刺激的で、退屈に事欠かない。今は悲しいかな、中途半端な田舎暮らしで、自分の住んでいる町が好きじゃない。かといって、引っ越すこともできず、ずっと諦めの毎日です(嘘偽りのない本音を書きました)。
前回の更新(vol.1552)からの続きで、過日、東京へ行きました。
下の写真は吾妻橋から見た東京スカイツリーやアサヒビールタワーなどです。
台東区駒形にある世界のカバン博物館を見学しました。
下の写真がそれで、カバンの歴史や文化を紹介したり、著名人の使用したカバン等も展示されていました。
どうして世界のカバン博物館へ足を運んだのかと言えば、ユニークな博物館で興味があったからという理由もあるけれど、実はここにも岡本太郎の作品があると知ったから。
下の写真がそれで、世界のカバン博物館の受付横に展示されている岡本太郎の「統」です。
いつもながら、と言うか、子どもの頃から岡本太郎の作品を目にすると、僕は元気になります。きっとエネルギッシュな太郎さんのパワーが作品を通して、そうさせてくれるのでしょう。
続けて、岡本太郎とは関係のない場所へ向かったのですが、別の話題となることから、次回の更新で。
以下は余談。
僕は都会で育ったことから、東京で暮らしている人が羨ましい。林立する高層ビル群の景色、移動の際のプラットホームや電車内での人間観察、最先端の技術や情報に触れたりと、東京へ行けば、早朝から深夜まで(実際、眠るのが惜しいほどに)見るもの聞くものが飽きず、刺激的で、退屈に事欠かない。今は悲しいかな、中途半端な田舎暮らしで、自分の住んでいる町が好きじゃない。かといって、引っ越すこともできず、ずっと諦めの毎日です(嘘偽りのない本音を書きました)。
2017年12月26日火曜日
vol.1552 岡本太郎の「芝 栄太楼」と「歓び」
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過日、所用で東京へ行きました。
下の写真は増上寺の三解脱門と東京タワーです。
僕は東京へ行ったら、決まって空き時間にすることがあって、それはいつもブログにも書いているように岡本太郎のパブリックアートを目にすることです。
下の写真は港区芝大門にあるビルの壁面に施された岡本太郎の文字です。
下の写真は新宿区四谷にある持田製薬株式会社の玄関前にある「歓び」です。
今の時期に合わせて、クリスマスツリーが一緒に飾られていました。
続けて、他の岡本太郎の作品も目にしたのですが、別の話題となることから、次回の更新で。
以下は余談。
拙宅に姪っ子(10歳)が冬休みで遊びに来ていて、僕には子どもがいないことから、姪っ子と遊ぶのがとても楽しく、実に癒されます。なるほど、僕が姪っ子を遊ばせているのではなくて、姪っ子が僕と遊んでくれているんだな、と。そんな簡単なことが、今の年齢になって、遅まきながら、ようやく分かりました。
過日、所用で東京へ行きました。
下の写真は増上寺の三解脱門と東京タワーです。
僕は東京へ行ったら、決まって空き時間にすることがあって、それはいつもブログにも書いているように岡本太郎のパブリックアートを目にすることです。
下の写真は港区芝大門にあるビルの壁面に施された岡本太郎の文字です。
下の写真は新宿区四谷にある持田製薬株式会社の玄関前にある「歓び」です。
今の時期に合わせて、クリスマスツリーが一緒に飾られていました。
続けて、他の岡本太郎の作品も目にしたのですが、別の話題となることから、次回の更新で。
以下は余談。
拙宅に姪っ子(10歳)が冬休みで遊びに来ていて、僕には子どもがいないことから、姪っ子と遊ぶのがとても楽しく、実に癒されます。なるほど、僕が姪っ子を遊ばせているのではなくて、姪っ子が僕と遊んでくれているんだな、と。そんな簡単なことが、今の年齢になって、遅まきながら、ようやく分かりました。
2017年12月24日日曜日
vol.1551 クリスマスに贈る詩
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明日は更新できないことから、何かクリスマスにふさわしい話題はないかと考えてみた。だが、すぐには思い浮かばなかったことから、前回の更新(vol.1550)と関連した話題で、「僕が若かりし頃、心底、好きになった女性は(以下略)」と書いた彼女について、何かしら書いてみたくなった。
といっても、別れた彼女との思い出を書くのは、正直言って恥ずかしい。
以下は彼女の大学ノート(2代目のキャンパスノート)に書かれていた詩に、当時の僕が書き加えてできた詩を紹介したいと思う。詩のどこまでが彼女で、どこからが僕かは書かないけれど、これが僕にできた二人の最後になった。
最初は友達だった
好きだったものが
一緒だと分かって
たくさん たくさん
お喋りしたね
あなたは何でもないことで
腹の底からゲラゲラ笑ったり
私は突然のハッピーで
流した嬉し涙が止まらなかったり
ずっと一緒にいるって
約束したけれど
会いたくても
会えなくなって
気持ちは変わらない
二人なら大丈夫だから
いつも優しく励ましてくれた
信じていたけれど
ダメになったけれど
私は泣き虫だから
あれから離れ離れになっても
あなたの笑顔を思い出して
何度も泣いたりしたけれど
今は嬉しかったことだけしか思い出さないよ
とても大事な
本当に大切な
あなたと私の思い出だから
今の私の全部だから
明日は更新できないことから、何かクリスマスにふさわしい話題はないかと考えてみた。だが、すぐには思い浮かばなかったことから、前回の更新(vol.1550)と関連した話題で、「僕が若かりし頃、心底、好きになった女性は(以下略)」と書いた彼女について、何かしら書いてみたくなった。
といっても、別れた彼女との思い出を書くのは、正直言って恥ずかしい。
以下は彼女の大学ノート(2代目のキャンパスノート)に書かれていた詩に、当時の僕が書き加えてできた詩を紹介したいと思う。詩のどこまでが彼女で、どこからが僕かは書かないけれど、これが僕にできた二人の最後になった。
最初は友達だった
好きだったものが
一緒だと分かって
たくさん たくさん
お喋りしたね
あなたは何でもないことで
腹の底からゲラゲラ笑ったり
私は突然のハッピーで
流した嬉し涙が止まらなかったり
ずっと一緒にいるって
約束したけれど
会いたくても
会えなくなって
気持ちは変わらない
二人なら大丈夫だから
いつも優しく励ましてくれた
信じていたけれど
ダメになったけれど
私は泣き虫だから
あれから離れ離れになっても
あなたの笑顔を思い出して
何度も泣いたりしたけれど
今は嬉しかったことだけしか思い出さないよ
とても大事な
本当に大切な
あなたと私の思い出だから
今の私の全部だから
2017年12月23日土曜日
vol.1550 僕の辞書、裏切る言葉
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僕の辞書には、馬齢を重ねるごとに言葉が増える。それは誰しも一日一日を生きていれば、同じであろう。自分の使っている言葉は人生経験と表裏一体だ。箸使いのきれいな人に好感を持つように、僕は言葉遣いのきれいな人に憧れる。
僕が若かりし頃、心底、好きになった女性は、出会って、ゆっくり話をしてみたい女性だった。別段、難しい話題ではなくて、ちゃんと普通に会話ができて、しかもだんだん話しているうちに心が楽しくなってくるような女性だった。彼女を抱いたときよりも、膝を交えて話をしていたときの方がずっと嬉しかった。
子どもの頃から、長生きをすれば(毎日を懸命に生きれば)、それだけ言葉が豊かになると、僕は信じ込んでいた。けれど、実際はそうではなくて、失われていく言葉もあることを知って、愕然とした。例えるならば、雪が降って、積もるみたいに言葉は増えるが、一方で、融けて跡形もなく消えてしまう言葉もあるのだ。
そもそも言葉というものは、人の命に似ている。生まれ、話されたり、書かれたりして、やがて死語になる。そして、人には言葉にはできない感情もある。とりわけ、悲しいや寂しいといった感情は言葉だけでは、そのすべてが伝わらない。何が悲しいのか、どうして悲しいのか、それを言葉にしなければならない。しかし、この世には言葉では説明できない、漠然とした悲しみもたくさんあるのだ。
この世に不気味な力があるとしたら、それは核兵器ではない。誰もがいつも使っている言葉だ。人を殺すのに、凶器なんか必要ない。言葉はどんな刃物よりも鋭くて、人の心をズタズタに切りつける。発せられた言葉は時として、ピストルようにもなり、心に大きな穴を開けてしまう。微塵も容赦はしない。残酷な冗談で、その人を否定して、どん底に突き落としさえすればいい。さすれば、深い傷(致命傷)となって、殺したのも同然だ。体の傷は時間が経てば、自然と癒えるかもしれない。が、心の傷が簡単には癒えないことは誰もが知っている。
冷たく、暗い闇の中に、その人を閉じ込めてしまうのが言葉ならば、それを救うことができるのも言葉だ。果たして僕の言葉はどちらだろうか。
以下は余談というか、日記。
毎年、身長は変わらないのに(178センチ)、今年は体重が60キロを超えそうになって、ひどく焦った。原因はやはりストレス過食だったのだろう。現在は少し元に戻って、57キロ。お腹の出た中年男は傍から見ても気持ちいいものではない。僕の年齢からすれば、致し方ないことかもしれないが、そうした中年男にだけは絶対になりたくない。太っていると重い病気になるかもしれないから、心身共にシャープであらねば(参考までに記すと、ジムに通うなどの運動もしていなければ、取り立ててダイエットもしておらず、もちろん、ちゃんと食事をしています)。
下の写真は僕の体年齢で、いつ計測しても、実年齢より20歳以上も若いことから、やはり故障なのか。
僕の辞書には、馬齢を重ねるごとに言葉が増える。それは誰しも一日一日を生きていれば、同じであろう。自分の使っている言葉は人生経験と表裏一体だ。箸使いのきれいな人に好感を持つように、僕は言葉遣いのきれいな人に憧れる。
僕が若かりし頃、心底、好きになった女性は、出会って、ゆっくり話をしてみたい女性だった。別段、難しい話題ではなくて、ちゃんと普通に会話ができて、しかもだんだん話しているうちに心が楽しくなってくるような女性だった。彼女を抱いたときよりも、膝を交えて話をしていたときの方がずっと嬉しかった。
子どもの頃から、長生きをすれば(毎日を懸命に生きれば)、それだけ言葉が豊かになると、僕は信じ込んでいた。けれど、実際はそうではなくて、失われていく言葉もあることを知って、愕然とした。例えるならば、雪が降って、積もるみたいに言葉は増えるが、一方で、融けて跡形もなく消えてしまう言葉もあるのだ。
そもそも言葉というものは、人の命に似ている。生まれ、話されたり、書かれたりして、やがて死語になる。そして、人には言葉にはできない感情もある。とりわけ、悲しいや寂しいといった感情は言葉だけでは、そのすべてが伝わらない。何が悲しいのか、どうして悲しいのか、それを言葉にしなければならない。しかし、この世には言葉では説明できない、漠然とした悲しみもたくさんあるのだ。
この世に不気味な力があるとしたら、それは核兵器ではない。誰もがいつも使っている言葉だ。人を殺すのに、凶器なんか必要ない。言葉はどんな刃物よりも鋭くて、人の心をズタズタに切りつける。発せられた言葉は時として、ピストルようにもなり、心に大きな穴を開けてしまう。微塵も容赦はしない。残酷な冗談で、その人を否定して、どん底に突き落としさえすればいい。さすれば、深い傷(致命傷)となって、殺したのも同然だ。体の傷は時間が経てば、自然と癒えるかもしれない。が、心の傷が簡単には癒えないことは誰もが知っている。
冷たく、暗い闇の中に、その人を閉じ込めてしまうのが言葉ならば、それを救うことができるのも言葉だ。果たして僕の言葉はどちらだろうか。
以下は余談というか、日記。
毎年、身長は変わらないのに(178センチ)、今年は体重が60キロを超えそうになって、ひどく焦った。原因はやはりストレス過食だったのだろう。現在は少し元に戻って、57キロ。お腹の出た中年男は傍から見ても気持ちいいものではない。僕の年齢からすれば、致し方ないことかもしれないが、そうした中年男にだけは絶対になりたくない。太っていると重い病気になるかもしれないから、心身共にシャープであらねば(参考までに記すと、ジムに通うなどの運動もしていなければ、取り立ててダイエットもしておらず、もちろん、ちゃんと食事をしています)。
下の写真は僕の体年齢で、いつ計測しても、実年齢より20歳以上も若いことから、やはり故障なのか。
2017年12月22日金曜日
vol.1549 アウトライダー2018年2月号の発売日
ブログ「東海・旅の足跡」をお読みいただき、ありがとうございます。
今日はアウトライダー2018年2月号の発売日です。
下の写真は目次で、特集は「47都道府県 月めくり 期間限定の景色120選」となっています。
僕が選んだ期間限定の素敵な景色も43ページに紹介されていることから、年末年始に書店へ足を運ぶことがありましたら、手に取っていただければ幸いです。
今日はアウトライダー2018年2月号の発売日です。
下の写真は目次で、特集は「47都道府県 月めくり 期間限定の景色120選」となっています。
僕が選んだ期間限定の素敵な景色も43ページに紹介されていることから、年末年始に書店へ足を運ぶことがありましたら、手に取っていただければ幸いです。
2017年12月17日日曜日
vol.1548 心の闇を書くということ
ブログ「東海・旅の足跡」をお読みいただき、ありがとうございます。
僕は人間の内面、とりわけ誰もが持つ心の闇を描くのを最も得意としていることから、どうしても文章のトーンが深刻になりがちで、読者の気分も暗くなる。そうした話を読むのが好きな人も少なからずいるので、僕の文章にも需要があることはあるのだけれども、広く一般受けはしないはず。ちなみに暴力や殺人といった攻撃的な場面は一切ないけれど、読んでいるうちにだんだんと苦になっているのが快感だ、とよく言われます(感想をいただけるのは、実に嬉しいです)。
いずれにせよ、狂気や死を描くといった言葉の魔力には抗しがたく、少し力を込めて文章を書くと、気を付けていなければ、ついつい筆がそうした方向へと走ってしまうのだ。もちろん人間には好奇心があって、健康な男女ならば、誰しもそういう話題の嫌いな人はいないはず。
人間の心理。この不安定で、複雑なものこそ、書くに値するのだ、という僕の意気込みは、別にしなければいけないと、頭の中ではハッキリと分かっている。だが、そう考えると、自分が書いた文章の中から、大切な何かが失われていくようで、顔のない文章になっていないか、という思いが頭をもたげる。
少し話が逸れるけれども、文章の中身というものは、今の時代に流行の論理や説明解説(「だから何々というわけです」といった類の文章)でなく、自分はこう思うんだ、といった本心がなければ、読むに値しない。そして、それに対する反対意見もあっていいし、耳を貸さない、なんてことがあってはならない。
目には見えない心の奥底に潜む闇の部分にこそ、その人の真実があるはず。そんなことを考えて(信じて)、僕はいつも文章を書いている。つい長々と書いてしまったけれど(少し前のいくつかの更新と併せて)、僕の暗いというか、重たい文章を読んでくださっている方々に対して、文末に深謝を記しておきます。
以下は余談。
「人前では努めて明るく振る舞うように」という恩師の教えを二十歳からずっと守っていることで、はじめて僕と直接、顔を合わしたり、話をしたりする人は、僕自身の印象と僕の書いている文章とのギャップに戸惑ったり、驚くことが多いです(もう慣れましたが)。
僕は人間の内面、とりわけ誰もが持つ心の闇を描くのを最も得意としていることから、どうしても文章のトーンが深刻になりがちで、読者の気分も暗くなる。そうした話を読むのが好きな人も少なからずいるので、僕の文章にも需要があることはあるのだけれども、広く一般受けはしないはず。ちなみに暴力や殺人といった攻撃的な場面は一切ないけれど、読んでいるうちにだんだんと苦になっているのが快感だ、とよく言われます(感想をいただけるのは、実に嬉しいです)。
いずれにせよ、狂気や死を描くといった言葉の魔力には抗しがたく、少し力を込めて文章を書くと、気を付けていなければ、ついつい筆がそうした方向へと走ってしまうのだ。もちろん人間には好奇心があって、健康な男女ならば、誰しもそういう話題の嫌いな人はいないはず。
人間の心理。この不安定で、複雑なものこそ、書くに値するのだ、という僕の意気込みは、別にしなければいけないと、頭の中ではハッキリと分かっている。だが、そう考えると、自分が書いた文章の中から、大切な何かが失われていくようで、顔のない文章になっていないか、という思いが頭をもたげる。
少し話が逸れるけれども、文章の中身というものは、今の時代に流行の論理や説明解説(「だから何々というわけです」といった類の文章)でなく、自分はこう思うんだ、といった本心がなければ、読むに値しない。そして、それに対する反対意見もあっていいし、耳を貸さない、なんてことがあってはならない。
目には見えない心の奥底に潜む闇の部分にこそ、その人の真実があるはず。そんなことを考えて(信じて)、僕はいつも文章を書いている。つい長々と書いてしまったけれど(少し前のいくつかの更新と併せて)、僕の暗いというか、重たい文章を読んでくださっている方々に対して、文末に深謝を記しておきます。
以下は余談。
「人前では努めて明るく振る舞うように」という恩師の教えを二十歳からずっと守っていることで、はじめて僕と直接、顔を合わしたり、話をしたりする人は、僕自身の印象と僕の書いている文章とのギャップに戸惑ったり、驚くことが多いです(もう慣れましたが)。
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