2018年7月2日月曜日

vol.1678 ブルトマン著「ヨハネ福音書の終末論」(1928年)を読んで

 ブログ「東海・旅の足跡」をお読みいただき、ありがとうございます。

 過日、『ブルトマン著作集11』神学論文集1(新教出版社)に収録されている「ヨハネ福音書の終末論」を読みました。
 率直に言って、難しかった。書かれている内容の半分も理解できなかった。でも、それで良い。満足だ。僕は凡夫で、研究者でもなければ、クリスチャンでもないのだから。
 本稿の内容は大きく1から5に分けられている。とりあえず、1の内容を(僕なりに)まとめてみたのが、以下である。

 『ヨハネによる福音書』において、
  1、「生命」という概念がどのように理解されているのか。
  2、「世」とは何を意味するのか。
 「世」は何よりも人間を意味する。人間は世そのものである。人間は被造物であり、世を生ぜしめた「言(ことば)」は、ずっと以前から「人の光」として世にある、と『ヨハネ福音書』の最初に示されている。

 一 初めに言(ことば)があった。言は神と共にあった。言は神であった。
 二 この言は初めに神と共にあった。
 三 すべてのものは、これによってできた。できたもののうち、一つとしてこれによらないものはなかった。
 四 この言に命があった。そしてこの命は人の光であった。

 だから、「世」は宇宙論的理論に基礎を置かず、この創造思想から生じる。人間の存在が世にある、ないしは世から出た存在と考えられることから、世の存在になる。人間の世、その存在は(イエスによる)啓示によって、2つの可能性、「死」と「生命」を生じさせる結果となる。

 以上、簡単にまとめてみたけれど、素人ゆえ多分に間違っているところがあるだろう。お許しいただきたい。また、ご指摘いただければ幸いです。
 

 続く2の内容については、生命とは何なのか。また、信仰について。3の内容については、「言葉が肉体となった」啓示者イエスが到来し、語りかける時が終末論的今と、こうして内容は5まで続いている。しかし、今回の更新はもうこの辺りで、筆を擱くのが賢明であろう。
 最後に、例によって、ブルトマンは1884年生まれだから、44歳の時に発表した論文である。

 以下は余談。
 『聖書』とブルトマンの著作に関する更新は以前(vol.1673)にも書いたように大変不評であることから、今後はツーリングの記事などと同様、別の場所で書きたいと思う。これにより、更新回数が大幅に(総じて)減ることになるけれど、仕方ない。

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