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過日、『ブルトマン著作集11』神学論文集1(新教出版社)に収録されている「ヨハネ福音書の終末論」を読みました。
率直に言って、難しかった。書かれている内容の半分も理解できなかった。でも、それで良い。満足だ。僕は凡夫で、研究者でもなければ、クリスチャンでもないのだから。
本稿の内容は大きく1から5に分けられている。とりあえず、1の内容を(僕なりに)まとめてみたのが、以下である。
『ヨハネによる福音書』において、
1、「生命」という概念がどのように理解されているのか。
2、「世」とは何を意味するのか。
「世」は何よりも人間を意味する。人間は世そのものである。人間は被造物であり、世を生ぜしめた「言(ことば)」は、ずっと以前から「人の光」として世にある、と『ヨハネ福音書』の最初に示されている。
一 初めに言(ことば)があった。言は神と共にあった。言は神であった。
二 この言は初めに神と共にあった。
三 すべてのものは、これによってできた。できたもののうち、一つとしてこれによらないものはなかった。
四 この言に命があった。そしてこの命は人の光であった。
だから、「世」は宇宙論的理論に基礎を置かず、この創造思想から生じる。人間の存在が世にある、ないしは世から出た存在と考えられることから、世の存在になる。人間の世、その存在は(イエスによる)啓示によって、2つの可能性、「死」と「生命」を生じさせる結果となる。
以上、簡単にまとめてみたけれど、素人ゆえ多分に間違っているところがあるだろう。お許しいただきたい。また、ご指摘いただければ幸いです。
続く2の内容については、生命とは何なのか。また、信仰について。3の内容については、「言葉が肉体となった」啓示者イエスが到来し、語りかける時が終末論的今と、こうして内容は5まで続いている。しかし、今回の更新はもうこの辺りで、筆を擱くのが賢明であろう。
最後に、例によって、ブルトマンは1884年生まれだから、44歳の時に発表した論文である。
以下は余談。
『聖書』とブルトマンの著作に関する更新は以前(vol.1673)にも書いたように大変不評であることから、今後はツーリングの記事などと同様、別の場所で書きたいと思う。これにより、更新回数が大幅に(総じて)減ることになるけれど、仕方ない。
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