ブログ「東海・旅の足跡」をお読みいただき、ありがとうございます。
前々回の更新(vol.1606)に関連して、昨日の午後はドストエフスキーの『カラマーゾフの兄弟』を手に取ってしまいました。
第二部第六編三( I )「地獄と地獄の火について。神秘的な考察」の文末にある「長老逝去の知らせはただちに僧庵にひろまり、修道院にも達した」から読み始めて、第三部第七編アリョーシャの「腐臭」、「そんな一瞬」、「一本の葱」、「ガリラヤのカナ」まで、わずか70ページですが、主人公アリョーシャ、ゾシマ長老、パイーシイ神父、ラキーチン、グルーシェニカが登場して、イエスが最初の奇跡を起こす(後述『ヨハネによる福音書』第2章1-10節の引用)と、ゾシマ長老の声「なぜ、わたしを見ておどろいている? わたしは葱を与えたのだ、それでここにいるのだよ。ここにいる大部分の者は、たった一本の葱を与えたにすぎない、たった一本ずつ、ちいさな葱をな(中略)お前も、もの静かなおとなしいわたしの坊やも、今日、渇望している女に葱を与えることができたではないか」を耳にしたアリョーシャが星空の下、大地を抱きしめた後、立ち上がる。
(『ヨハネによる福音書』第2章1-10節)
「三日目にガリラヤのカナで婚礼があって、イエスの母がそこにいた。イエスも、その弟子たちも婚礼に招かれた。
ぶどう酒がなくなったので、 母がイエスに言った。『ぶどう酒がなくなってしまいました』。
イエスは母に言われた。『婦人よ、あなたは、わたしと、なんの係わりがありますか。わたしの時は、まだきていません』 母はしもべたちに言った。「このかたが、あなたがたに言いつけることは、なんでもして下さい」。
イエスは彼らに「かめに水をいっぱい入れなさい」と言われたので、彼らは口のところまでいっぱいに入れた。そこで彼らに言われた、『さあ、くんで、料理頭のところに持って行きなさい』。すると彼らは持って行った。
料理頭は、ぶどう酒になった水をなめてみたが、それがどこからきたのか知らなかったので、(水をくんだしもべたちは知っていた)花婿を呼んで言った。
『どんな人でも、初めによいぶどう酒を出して、酔いがまわったころにわるいものを出すものだ。それだのに、あなたはよいぶどう酒を今までとっておかれました』」
僕は引用されている『ヨハネによる福音書』第2章の箇所を読むたびに、実に奥深いなと感じます。
以下は余談。
今日のお昼休みは近くにあるセカンドストリートへ行き、流行遅れという理由から買い叩かれたであろう夏服の掘り出し物を見つけました。
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