ブログ「東海・旅の足跡」をお読みいただき、ありがとうございます。
前々回の更新(vol.1608)からの続きで、『ヨハネによる福音書』の話題を。
第一章一~三
「初めに言があった。言は神と共にあった。言は神であった。この言は初めに神と共にあった。すべてのものは、これによってできた。できたもののうち、一つとしてこれによらないものはなかった。」
初めに読んだのは高校生の頃だったと記憶している。そして、『聖書』の文中で、最もよく覚えているというか、思い出す。なぜか。理由は簡単だ。僕にも自分の名前があって、この世に生まれ、こうして今、生きているから(厳密に言えば、生かされているから)。つまりはそういうことだ(まるで禅問答みたいな書き方だけれど)。
第二章については、前々回の更新(vol.1608)で触れたとおり。
四、「イエスは母に言われた。『婦人よ、あなたは、わたしと、なんの係わりがありますか。わたしの時は、まだきていません』 」。
上記の言葉の意味を考えたら、まるで僕自身のことを指すかのようで、心臓の鼓動が速くなりました。
第三章八
「風は思いのままに吹く。あなたはその音を聞くが、それがどこから来て、どこへ行くかは知らない。」
この風が持つ意味について、僕が尊敬する恩師に教わったのは、「生きることの味わいを深めることができる」ということ。僕なりには、バイクで風を感じたことは「人生の喜び」だ。
第四章以降は、続けて記すと長文になることから、またの機会に。
0 件のコメント:
コメントを投稿