ブログ「東海・旅の足跡」をお読みいただき、ありがとうございます。
少し前の更新(vol.1650 )からの続きで、『箴言』の解釈。補足しておくと、前章までのソロモンの箴言とは別の言葉である。
第三〇章
一 マッサの人ヤケの子アグルの言葉。その人はイテエルに向かって言った、すなわちイテエルと、ウカルとに向かって言った、
四 天にのぼったり、下ったりしたのはだれか、風をこぶしの中に集めたのはだれか、水を着物に包んだのはだれか、地のすべての限界を定めた者はだれか、その名は何か、その子の名は何か、あなたは確かにそれを知っている。
第三〇章には、「三つある、いや、四つあって」という言い回しが何度も出てくる。僕個人として、国語(表現)の勉強になった。
第三一章
一マッサの王レムエルの言葉、すなわちその母が彼に教えたものである。
二 わが子よ、何を言おうか。わが胎の子よ、何を言おうか。わたしが願をかけて得た子よ、何をいおうか。
三 あなたの力を女についやすな、王をも滅ぼすものに、あなたの道を任せるな。
なるほどこれが母の言葉か、と。聡明な女性の言葉であって、僕のような男には、口にできないし、書けもしない言葉だ。
『箴言』について、取り上げるのは今回が最後で、全章を6回に分けて、記述しました。
ブログを書く際に「しんげん」を漢字に変換すると、従来は候補が「進言」や「震源」、あるいは「信玄」となっていました。しかし、今ではすっかり「箴言」になっています。日頃の言葉遣いで、その人の知識や知性が表れる一例だな、と。
0 件のコメント:
コメントを投稿