ブログ「東海・旅の足跡」をお読みいただき、ありがとうございます。
前回の更新(vol.1654)からの続きで、ブルトマン著・杉原助訳『ヨハネの福音書』(日本キリスト教団出版局)を読んだ感想を記したい。
未読の方のために以下、本書の内容を少し紹介しておくと、
聖書の該当箇所
第七章
三三 イエスは言われた、「今しばらくの間、わたしはあなたがたと一緒にいて、それから、わたしをおつかわしになったかたのみもとに行く。
三四 あなたがたはわたしを捜すであろうが、見つけることはできない。そしてわたしのいる所に、あなたがたは来ることができない」。
本書の本文
「従ってこの言葉の聞き手に恐るべき責任を負わせるもの、それは啓示の歴史的な偶然性である。啓示は好き勝手に扱えるものではなくて、啓示自身によって定められた、限られた時にしか存在しないものである(脚注)。それの核心は無時間的にとらえうる一般的な真理や、いつでも利用できる教義にあるのではない。それは時間の中で出会うものであり、人格的な現在なのである。啓示者の呼びかけが発せられた、その機会を逸すれば、手遅れになるのである」(本書248~9ページ「啓示の偶然性」について」抜粋)。
本書の脚注
「時間性は、他の点に関しても、啓示の出来事にとっていかに重要であるかを、(まだしばらくは)と(またしばらくすると)は示している」。
前回の更新(vol.1654)の冒頭にも書いたけれど、昨日の時点(5月31日~6月5日)で、ようやく半分(本書の358ページまで)を読み終えた。読後は興奮と共に疲労感が尋常じゃない。なぜなら、
1、本書の本文を読む。
2、聖書の該当箇所を再読して、確認する。
3、本書の本文を再読して、理解を深める。
4、本書の脚注を確認する。
上記の1から4までを繰り返しながら、読み進めていくといった作業で、普通の読書と違って、ページがなかなか進まない。ましてや、周囲に雑音があると、集中力が削がれ、理解を深める際の妨げになるから。
しかしながら、本書を読んで、理解を深めた後は、『聖書(ヨハネの福音書)』に記された奥深い言(ことば)、この場合、ロゴスの正体がまるで解剖でもしたかのように、はっきりと手に取るように分かって、興奮させられる。
以下は余談。
今、午前6時だ。外は雨が降っている。6月6日は、こうでなくちゃ、と。絵描き歌の「かわいいコックさん」を口ずさみながら。
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