2010年6月15日火曜日

vol.257 白洲正子の「韋駄天夫人」を読んで

 ツーリング・レポート「東海・旅の足跡」をお読みいただき、ありがとうございます。

 連日、晴耕雨読といった次第で、『白洲正子全集』(新潮社)に目を通しています。今日は第2巻に収録された「韋駄天婦人」を読みました。「韋駄天婦人」は白洲正子が40代半ばに書いたエッセイ集です。
 未読の方のために、咄嗟にどんな個所を引用すべきか、大いに迷うけれども、どのページをめくってみても、きっとそれは容易に見つけることができる。

 …「そうね、あなたがいないと、大変ですものね」 この嘘がなかったら、一日も、他人とは附合って行けないに違いない。自分自身とさえ折合えないにきまっている。(「木まもり」より)

 …人間の命に二つはない、と知ることの方がずっと大切なのではないかと思う。暖めれば、のびるし、傷つければ、しぼむ。人間も植物のように、それほど強いものではないということは私自身常に経験するところである。(「人間の季節」より)

 …人間全体に絶望を感じていたチェホフや兼好法師が、何故自殺に至らなかったか。彼等は死ぬことより生きることの難しさを、苦しむより楽しむことの難しさを、肝に銘じて知っていたからである。(「投書婦人と恐妻男」より)

 僕は「韋駄天夫人」を読み進んでいくうちに、白洲正子の生きることに対する心の叫びのようなものを随所に感じました。そうして、彼女の人生は、まるで韋駄天のように、前進あるのみだった、というような気持ちがしているのである。

 「東海・旅の足跡」は東海地区で発売されている月刊誌『バイクガイド』に連載中のツーリング・レポートです。ご一読いただき、ご感想をお寄せいただければ幸いです。

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