2018年7月29日日曜日

vol.1690 京葉線の舞浜駅にて


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 JR京葉線の舞浜駅を下車。
 休日、そして、子どもたちは夏休みとあって、東京ディズニーランドへ向かう家族連れなどで、午前中から混雑していました(いつもながらの光景ですが、驚異の集客力です)。
 見上げると、台風一過の青空ながら、湿気があり、ムシムシしています。
 

 画面奥はイクスピアリです。

2018年7月23日月曜日

vol.1689 久しぶりの円空さんの話題

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 今日の午前中は長谷川公茂先生とお会いして、楽しい円空談義で、幸せな時間を過ごしました。その際、円空仏の勉強会に相応しいテーマ(まだ誰もできていない、長谷川先生でさえも)を与えていただきました。
 下の写真は長谷川公茂先生とご一緒したモーニングサービスのサンドウィッチセットです。
 

 下の写真は長谷川公茂先生が今月、上梓したばかりの真新しい小冊子で、例によって、サインを頂戴しました。
 

 以下は余談。
 今夕、円空さんを通じて、数年前に知り合った彫師の山田匠琳先生からもお手紙が届きました。
 

2018年7月21日土曜日

vol.1688 久しぶりの更新

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 今日は某所で行われた仏教行事のお手伝いへ行き、美味しい昼食を食べました。
 下の写真がそれで、常日頃、粗食な僕には、上手に表現できませんが、体にとても良さそうなお料理でした。
 

 今週初めはクライン、ポルケ、ヴェンテ共編・佐々木勝彦、佐々木悠、濱崎雅孝共訳『キリスト教神学の主要著作』(教文館)を読みました。
 下の写真が表紙で、正確には本書で取り上げられていたブルトマン著『信仰と理解1~4』の箇所を読みました。
 

 以下は余談。
 少し前の更新(vol.1678)でも予告したとおり、更新自体が滞っているのではなくて、別の場所との兼ね合いです。さらに先週から今週(9日~17日)に掛けて、連日、不愉快なことが続いていたことも重なっていました。

2018年7月16日月曜日

vol.1687 夏、大好き。暑いの、大好き。

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 下の写真は正午過ぎに撮影。
 

 ブログで何度も話題に取り上げており、少し前からは近くの河川敷が朝ドラの撮影場所となったことから、そうした人が訪れるようになったとか。
 今日も最も暑いと思われる時間を外で過ごしました。そして、夏が大好きな僕でも、今日は少し暑いと感じました。
 これを書いている今、窓から入ってくる夜風がカーテンを揺らしています。

 以下は余談。
 僕はただ単に痩せているわけではない、ということで、下の写真は今の体脂肪率です(さすがにこれ以上は下げられません)。
 

 いつぞやも書いたけれど(vol.1659)、ダイエットをするなら、RIZAP(ライザップ)に支払うお金で、痩せたら着たい服を買うことだ。手段と目的を履き違えてはいけない。

2018年7月15日日曜日

vol.1686 「電気のマンホール」カード でんきの科学館

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 今日は東区と中区栄へ足を運びました。
 はじめに東区にある某所へ足を運びました。
 途中、下の写真にある碑を目にしました。
 

 次に栄へ向かうと、午前9時過ぎの気温は下の写真にあるように33度となっていました。
 

 久しぶりに公共配布カードの話題で、カード収集は止めたのですが、ついでがあったことから、下の写真はでんきの科学館とレゴランドとのスタンプラリーで、電気のマンホールカードの表にはレゴランドのキャラクターがデザインされたマンホールの写真となっていました。
 

 午前中、所用を済ませた後、引き続き、栄界隈にとどまり、午後2時前後の炎天下には、下の写真にある青空を見上げていました。
 

 次の目的地である昭和区へは時間の都合上、足を運べませんでした。

2018年7月14日土曜日

vol.1685 ずーーっと、夏ならいいのに。

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 今朝は午前3時に起床。
 午前4時過ぎ、外は鳥たちの鳴き声がうるさいくらいだ。窓から見ると、東の空から朝日が差してきて、木々や電柱、アンテナが赤く染まっている。
 日中は太陽の眩しい日射しが降り注いで、僕は青空を見上げ、嬉しくて、「夏だね」と、口にしていました。ずーーっと毎日、こんな夏の日が続けばいいのに。
 

 夕方、某所からの帰途、車の窓を全開にして、少し前の更新(vol.1681)で書いた村田和人さんの新しいアルバム「ド・ピーカン」を聴きながら、少し回り道をして、ドライブを楽しみました。
 今夜はこれから熱い風呂に入って、明日のために心と体をリフレッシュさせたいと思います。

 以下は余談。
 今日は5年先、10年先、20年先を見据えたものが、ちゃんとした形になって、ホッとしました。

2018年7月12日木曜日

vol.1684 見にトリップ 戦トリップ 産業観光・武将観光施設を巡るスタンプラリー

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 明後日14日(土)から、「見にトリップ 戦トリップ 産業観光・武将観光施設を巡るスタンプラリー」が開催されます(愛知県ホームページ新着情報、観光局観光振興課)。
 下の写真がそのポスターです(岐阜県観光企画課の報道発表資料)。
 

 スタンプラリーの参加施設(119箇所)を巡り、設置されたスタンプを集めると、「岐阜と愛知の特産品に応募が可能」とのこと。
 参加施設の一覧を見ると、僕が以前お世話になった荒川豊蔵記念館(岐阜県可児市)や瀬戸蔵ミュージアム(愛知県瀬戸市)などが記されており、以下の写真にあるようなスタンプを愛知・岐阜両県で、1個以上集めるようになっています(画像は一部加工しています)。
 

 昨今は便利で、安上がりなことから、デジタルスタンプラリー(モバイルスタンプラリー)が主流になりつつあるようですが、アナログ人間の僕はこうして自分で紙に押すスタンプラリーの方が好きです。

 以下は余談。
 今日はいつにもまして疲れ目を感じた。睡眠時間の短さ、読書、パソコン、車の運転と、目を酷使するからだろう(ただし、眠くはない)。ひょっとして、今週初めから続くストレスが原因か。

2018年7月11日水曜日

vol.1683 今日読んだ本と日本キリスト教団出版局

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 少し前(vol.1680)と前回(vol.1682)、「昨日、読んだ本 4冊について」というタイトルで更新したことから、さらに懲りずに続けようと思ったのですが、4冊以上読んでしまったことから、翌日ではなく(つまり「昨日」ではなく)、当日に更新することに。
 読んだ本を順に挙げると、鹿嶋春平太著『聖書のことがよくわかる本』(中経出版)、原作・秋沢公二、画・小倉豊共著『マンガ聖書の謎「死海文書」』(講談社)、マルグリット・フォンタ著、遠藤ゆかり訳『100の傑作で読む新約聖書ものがたり』( 創元社)、日本基督教団讃美歌委員会著『讃美歌21略解』(日本キリスト教団出版局)、曽野綾子『図解 いま聖書を学ぶ』(ワック)、ヘンリー・ウォンズブラ著、北和丈訳『ヴィジュアル版聖書読解事典』(原書房)で、正確に言えば、いくつかは読むというよりも、見るといった本でした。
 


 上の写真にもあるように『聖書』から外れて、「死海文書」や讃美歌といった周辺へ移りつつあります。そして、前回の更新(vol.1682)で書きましたが、やはり今日も日本キリスト教団出版局の本に目を通しました。クリスチャンではない人で、こんなにも日本キリスト教団出版局の本を読んでいるのは、ひょっとしたら僕だけかも。

 以下は余談。
 どことは書かなくても、分かる人には簡単に分かることから、今日の午後は下の写真の場所へ足を運んだのですが、2、3年前に消防カードをゲットするために訪れて以来なのでは、と思います。
 


2018年7月10日火曜日

vol.1682 続 昨日、読んだ本 4冊について

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 昨日の午後は予定が狂ってしまったことから、気分転換も兼ねて、下の写真にあるように富田正樹著『信じる気持ち』(日本キリスト教団出版局)と藤掛明著『人生の後半戦とメンタルヘルス』(キリスト新聞社)を読みました。
 


 富田正樹著『信じる気持ち』に記されていた「クリスチャン的思考」について、大変面白く感じました。
 クリスチャン的思考とは、1、三次元思考でいこう。2、誰もいないと思っていても。3、物事には始まりと終わりがある。4、求めよ、そうすれば与えられる。5、狭い門から入れ。6、明日は明日の風が吹く。7、みんなちがって、みんないい。8、すべてのことはメッセージ。9、共に笑い、共に泣く。10、自分のように人を愛しなさい。11、天の国はここに。12、やりなおしのきく人生、となっていました。
 とりわけ僕が気になったのは、9の「共に泣く」で、一緒に笑ったり、喜んだりする人はいるけれど、一緒に泣いてくれる人は(僕には)いないだろうから。
 他にも、小栗献著『よくわかるキリスト教の礼拝』(キリスト新聞社)と春名康範著『人生、一歩先は光』(日本キリスト教団出版局)を読みました。
 ふと、気がついたのですが、話題が前々回の更新(vol.1680)と似た内容だ、ということで、タイトルも。また、僕はクリスチャンでもないのに、『聖書』だけでなく、日本キリスト教団出版局の発行する本を立て続けに何冊も読んでいるのでは、と。

 以下は余談。
 今日の午後は長谷川公茂先生が講師を務める一宮円空会の講座へ顔を出しました。
 

2018年7月8日日曜日

vol.1681 村田和人&HIS FRIENDS 「ド・ピーカン」

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 今日のお昼休みは先月末に発売されていた村田和人&HIS FRIENDS のアルバム「ド・ピーカン」を購入。
 下の写真がそれで、CDジャケットの村田さんの笑顔がとっても素敵です。
 

 村田さんがライブで「次のアルバムは」と何度も口にされていたのを覚えています。これほど発売が待ち遠しかったアルバムは他にないし、これほど皆の想いの詰まったアルバムは他にないのでは、と。
 陰ながら、村田さんのファンのひとりとして、「ド・ピーカン」を届けてくださった HIS FRIENDS の皆様へ深い感謝の言葉を記したい。ありがとうございます。
 今年の夏も村田さんの音楽と一緒に過ごせて、僕は幸せです。

 以下は余談。
 今日の午前中は名古屋市昭和区の某所にて、温かく迎えていただきました。

2018年7月4日水曜日

vol.1680 昨日、読んだ本 4冊について

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 昨日の午後は予定が狂ってしまったことから、気分転換を兼ねて、4冊の本を読みました。併せて、簡単な感想を記しておきたい。
 

 フィリップ・セリエ著、支倉崇晴・支倉寿子訳『聖書入門』(講談社選書メチエ)
 新約聖書の箇所(約半分)に目を通しました。「神殿から追い出された商人たち」の中に記されていた「神殿の商人」という言い回しの解説がとても分かりやすかったです。いわゆる「宮清め」。
 

 橋本陽介著『日本語の謎を解く』(新潮選書)
 例文が逐一示されており、へえ、ふうん、なるほど、といった具合に読み進みました。副題に「最新言語学Q&A」とあることから、そうした解き方も、為になりました。
 

 樋野興夫著『いい人生は、最期の5年で決まる』(SB新書)
 一言で言えば、お医者さんらしい啓発本でした。内村鑑三や新渡戸稲造といった偉人たち(の名言)を引き合いに出しているところが、著者らしさなのだろう、と。
 

 ひろさちや著『「孤独」のすすめ』(SB新書)
 ひろさちやさんの書いたものは、これまでにも読んだことがありました。これはちょっと突き抜けているといった印象で、面白かったです。「に」ではなく、「を」である、と。

 以下は余談。
 今朝(午前5時)は雨が降っている。朝刊の週間天気予報(木、金、土曜)を目にしたら、今週は傘のマークが並んでいることから、梅雨らしい日が続くのかな、と。僕は晴れ男だけれども、以前ほど雨降りが嫌いでなくなりました。

2018年7月3日火曜日

vol.1679 予告 村久野会館 円空仏特別講演 2018

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 すいとぴあ江南の主催による長谷川公茂先生の講演と音楽寺の円空仏拝観が8月24日(金)の午後に予定されています。
 下の写真が案内のチラシです。
 

 今年も嬉しいお知らせをお届けできることに僕は喜んでいます。
 昨年のそれはブログの1500回目の更新(vol.1500)と重なり、「相応しい内容となりました」と記していました。
 すいとぴあ江南のホームページ内にも「広報」として、同様の案内が掲載されていることから、ご参考までに。

 以下は余談。
 薄紫色の夜明けだ。先ほど朝食を食べている際に、W杯の日本対ベルギー戦を見ていた。日本が勝っているなと思いきや、あれよあれよという間に同点に追いつかれていた。
 さて、「以下は余談」と称しながら、大事なことをさりげなく、ここにこうして書き記してきたけれど、それに気づいた人はどのくらいいたのであろうか。

2018年7月2日月曜日

vol.1678 ブルトマン著「ヨハネ福音書の終末論」(1928年)を読んで

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 過日、『ブルトマン著作集11』神学論文集1(新教出版社)に収録されている「ヨハネ福音書の終末論」を読みました。
 率直に言って、難しかった。書かれている内容の半分も理解できなかった。でも、それで良い。満足だ。僕は凡夫で、研究者でもなければ、クリスチャンでもないのだから。
 本稿の内容は大きく1から5に分けられている。とりあえず、1の内容を(僕なりに)まとめてみたのが、以下である。

 『ヨハネによる福音書』において、
  1、「生命」という概念がどのように理解されているのか。
  2、「世」とは何を意味するのか。
 「世」は何よりも人間を意味する。人間は世そのものである。人間は被造物であり、世を生ぜしめた「言(ことば)」は、ずっと以前から「人の光」として世にある、と『ヨハネ福音書』の最初に示されている。

 一 初めに言(ことば)があった。言は神と共にあった。言は神であった。
 二 この言は初めに神と共にあった。
 三 すべてのものは、これによってできた。できたもののうち、一つとしてこれによらないものはなかった。
 四 この言に命があった。そしてこの命は人の光であった。

 だから、「世」は宇宙論的理論に基礎を置かず、この創造思想から生じる。人間の存在が世にある、ないしは世から出た存在と考えられることから、世の存在になる。人間の世、その存在は(イエスによる)啓示によって、2つの可能性、「死」と「生命」を生じさせる結果となる。

 以上、簡単にまとめてみたけれど、素人ゆえ多分に間違っているところがあるだろう。お許しいただきたい。また、ご指摘いただければ幸いです。
 

 続く2の内容については、生命とは何なのか。また、信仰について。3の内容については、「言葉が肉体となった」啓示者イエスが到来し、語りかける時が終末論的今と、こうして内容は5まで続いている。しかし、今回の更新はもうこの辺りで、筆を擱くのが賢明であろう。
 最後に、例によって、ブルトマンは1884年生まれだから、44歳の時に発表した論文である。

 以下は余談。
 『聖書』とブルトマンの著作に関する更新は以前(vol.1673)にも書いたように大変不評であることから、今後はツーリングの記事などと同様、別の場所で書きたいと思う。これにより、更新回数が大幅に(総じて)減ることになるけれど、仕方ない。

2018年7月1日日曜日

vol.1677 ブルトマン著「ヨハネ第一の手紙の分析」(1927年)を読んで

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 以前の更新(vol.1669、vol.1671)と関連して、『ブルトマン著作集7』聖書学論文集1(新教出版社)に収録されている「ヨハネ第一の手紙の分析」を読みました。
 

 著者であるブルトマンは冒頭、次のように述べている。

 「以下の論述は、私の結論に、紙幅相当の簡単な基礎づけをつけて提示するものである。(中略)福音書と手紙との詳細な注解書を準備中であること、こうした研究の一部を簡潔な姿で呈示するのは価値あることに私には思える(本書193ページ抜粋)」。

 準備中の詳細な注解書について、僕は既に目を通した(杉原助訳『ヨハネの福音書』日本キリスト教団出版局、川端純四郎訳『ヨハネの手紙』日本キリスト教団出版局)ことから、今回の更新では、著者の言葉を借りれば、「簡潔」に述べるにとどめたい。すなわち、僕自身が気になって、後々、内容を確かめるための備忘録として。

 序文(一・一~四)の後に記されていることについては、本書194ページ7行目以降。
 反対命題の特徴でもある、分詞文について(光と闇、留まると歩く、愛すると憎む)は、本書202ページ4行目以降。
 愛については、本書209ページ2行目。
 確信については、本書210ページ5行目以降。
 告白については、本書212ページ10行目以降。

 「ヨハネ第一の手紙の分析」を読むと、ブルトマンは『ヨハネの第一の手紙』の著者、いわゆる書き手の文体の分析を何度も行い、その特徴を記している。そこが僕はブルトマンらしくて、実に面白く感じた。以下にいくつかの例を挙げると、

 「以上で挙げた言い廻しは、上述の反対命題の形で記されている文の外部で見られるものであって、著者の文体の特徴であると共に、説明し解釈する説教調の叙述の文体の特徴である(本書199ページ引用)」。
 「著者は、ある概念を説明するために、それとは逆のことをあらかじめ述べてこれを否定しておく、というやり方を好むという点がその一つである(本書200ページ引用)」。
 「肯定的規定に先立ってそれと逆のものの否定をおくという著者の傾向に一致している(本書202ページ引用)」。
 「彼はまたもや説教調の呼びかけと手紙を書くとの言及によって導入している(本書202ページ引用)」。

 誰しも書き癖というのがあり、どんな作家にも、僕にもあって、文章を読んでいると、その人が書いたことが分かるようになる。ブルトマンは『新約聖書』の書き手に関して、釈義家らしく、その書き癖を熟知している。
 ということで、結論を書くと、本論は『ヨハネの第一の手紙』の文体の分析である。
 最後に、例によって、ブルトマンは1884年生まれだから、43歳の時に発表した論文である。

 以下は余談。
 日曜日の朝ということで、いつもより少し遅い時間(午前5時)に起きて、これを書いている。