2018年4月27日金曜日

vol.1619 『ヨハネによる福音書』第九章(自己解説)

 前回の更新(vol.1618)からの続きで、『ヨハネによる福音書』第九章について。

 第九章
 五 わたしは、この世にいる間は、世の光である。」
 六 イエスはそう言って、地につばきをし、そのつばきで、どろをつくり、そのどろを盲人の目に塗って言われた。
 七 「シロアム(つかわされた者、の意)の池に行って洗いなさい」。そこで彼は行って洗った。そして見えるようになって、帰って行った。
 

 二〇 両親は答えて言った、「これがわたしどものむすこであること、また生れつき盲人であったことは存じています。
 二一 しかし、どうしていま見えるようになったのか、それは知りません。また、だれがその目をあけて下さったのかも知りません。あれに聞いて下さい。あれはもうおとなですから、自分のことは自分で話せるでしょう」。

 四一 イエスは彼らに言われた、「もしあなたがたが盲人であったなら、罪はなかったであろう。しかし、今あなたがたが『見える』と言い張るところに、あなたがたの罪がある。

 上記の文章を読んだ後、僕自身は目が見える大人だけれども、イエス(「世の光」)がちゃんと見えているのかと、いつも自問自答してしまう。
 あなたにはイエス(「世の光」)が見えますか。

 以下は余談。
 今日は所用で岐阜県の某所へ行き、午後、岐阜市内を走ったことから、美江寺観音を久しぶりに参拝して、短い時間ながら、ご住職様と楽しくお話させていただきました。
 

 美江寺観音はブログにも書いているとおり(vol.682、vol.698など)、5年前から円空仏の関係で、たびたびお世話になっています。参考までに記すと、美江寺観音の円空仏は毎月18日にご開帳されます。

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