2017年12月17日日曜日

vol.1548 心の闇を書くということ

 ブログ「東海・旅の足跡」をお読みいただき、ありがとうございます。

 僕は人間の内面、とりわけ誰もが持つ心の闇を描くのを最も得意としていることから、どうしても文章のトーンが深刻になりがちで、読者の気分も暗くなる。そうした話を読むのが好きな人も少なからずいるので、僕の文章にも需要があることはあるのだけれども、広く一般受けはしないはず。ちなみに暴力や殺人といった攻撃的な場面は一切ないけれど、読んでいるうちにだんだんと苦になっているのが快感だ、とよく言われます(感想をいただけるのは、実に嬉しいです)。
 いずれにせよ、狂気や死を描くといった言葉の魔力には抗しがたく、少し力を込めて文章を書くと、気を付けていなければ、ついつい筆がそうした方向へと走ってしまうのだ。もちろん人間には好奇心があって、健康な男女ならば、誰しもそういう話題の嫌いな人はいないはず。
 人間の心理。この不安定で、複雑なものこそ、書くに値するのだ、という僕の意気込みは、別にしなければいけないと、頭の中ではハッキリと分かっている。だが、そう考えると、自分が書いた文章の中から、大切な何かが失われていくようで、顔のない文章になっていないか、という思いが頭をもたげる。
 少し話が逸れるけれども、文章の中身というものは、今の時代に流行の論理や説明解説(「だから何々というわけです」といった類の文章)でなく、自分はこう思うんだ、といった本心がなければ、読むに値しない。そして、それに対する反対意見もあっていいし、耳を貸さない、なんてことがあってはならない。
 目には見えない心の奥底に潜む闇の部分にこそ、その人の真実があるはず。そんなことを考えて(信じて)、僕はいつも文章を書いている。つい長々と書いてしまったけれど(少し前のいくつかの更新と併せて)、僕の暗いというか、重たい文章を読んでくださっている方々に対して、文末に深謝を記しておきます。

 以下は余談。
 「人前では努めて明るく振る舞うように」という恩師の教えを二十歳からずっと守っていることで、はじめて僕と直接、顔を合わしたり、話をしたりする人は、僕自身の印象と僕の書いている文章とのギャップに戸惑ったり、驚くことが多いです(もう慣れましたが)。

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