2018年5月29日火曜日

vol.1647 『箴言』第一〇~一五章(自己解説)

 ブログ「東海・旅の足跡」をお読みいただき、ありがとうございます。

 前回の更新(vol.1646)にて、『聖書』以外の本の話題を取り上げたけれど、今の僕にとっては、『聖書』以上に面白く、ためになる本は他に見当たりません。
 前々回の更新(vol.1645)からの続きで、『箴言』の解釈。

 第一四章
 一二 人が見て自ら正しいとする道でも、その終りはついに死に至る道となるものがある。
 一三 笑う時にも心に悲しみがあり、喜びのはてに憂いがある。
 第一五章
 一 柔らかい答は憤りをとどめ、激しい言葉は怒りをひきおこす。
 一三 心に楽しみがあれば顔色も喜ばしい、心に憂いがあれば気はふさぐ。
 一五 悩んでいる者の日々はことごとくつらく、心の楽しい人は常に宴会をもつ。
 二三 人は口から出る好ましい答によって喜びを得る、時にかなった言葉は、いかにも良いものだ。
 

 人が正しく生きて行くということ(一二)は、そういうことだ、との教訓。
 感情を表す「笑う」「悲しみ」「喜び」「憂い」「憤り」「怒り」について記されている。「顔色も喜ばしい」と「気はふさぐ」もある。
 「悩んでいる者の日々はことごとくつらく」とあり、僕にもそんな日々があった。本当に辛かった。今でも思い出すだけで、どうしても涙があふれ出てしまい、止まらなくなる。
 きっと誰にもあることなのだろう。だから、こうして『箴言』に記されているのだ。
 それを救ってくれるのは、「口から出る好ましい答」であり、「時にかなった言葉」なのかもしれない。

 以下は余談。
 昨今の政治のニュースを見聞きするたびに、なぜ安倍首相と夫人を庇わなければならないのか、僕は理解に苦しむ。なるほど権力者というものは、まさにそういうもの(裸の王様)なのか、と。そして、裸の王様を取り囲んでいる人たちは、自らの土台が崩れかかっているのに気づかないふりをしているのだろう。

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