2018年5月20日日曜日

vol.1639 『ピリピ人への手紙』(自己解説)

 ブログ「東海・旅の足跡」をお読みいただき、ありがとうございます。

 第一章
 一 キリスト・イエスの僕たち、パウロとテモテから、ピリピにいる、キリスト・イエスにあるすべての聖徒たち、ならびに監督たちと執事たちへ。
 第二章
 二七 彼は実に、ひん死の病気にかかったが、神は彼をあわれんで下さった。彼ばかりではなく、わたしをもあわれんで下さったので、わたしは悲しみに悲しみを重ねないですんだのである。
 第四章
 六 何事も思い煩ってはならない。ただ、事ごとに、感謝をもって祈と願いとをささげ、あなたがたの求めるところを神に申し上げるがよい。
 七 そうすれば、人知ではとうてい測り知ることのできない神の平安が、あなたがたの心と思いとを、キリスト・イエスにあって守るであろう。
 一〇 さて、わたしが主にあって大いに喜んでいるのは、わたしを思う心が、あなたがたに今またついに芽ばえてきたことである。実は、あなたがたは、わたしのことを心にかけてくれてはいたが、よい機会がなかったのである。
 一一 わたしは乏しいから、こう言うのではない。わたしは、どんな境遇にあっても、足ることを学んだ。
 

 『ピリピ人への手紙』の全章を通読して、差出人による、ただならぬほどの固い決意のようなものを感じた。
 とりわけ第四章には、僕のようなネガティブ思考の人間が心に留めておかなければならない言葉がちりばめられていた。「何事も思い煩ってはならない」「事ごとに、感謝をもって」「人知ではとうてい測り知ることのできない神の平安」「足ることを学んだ」と。
 『聖書』の言葉はいつも、いつでも力強くて、優しい。迷ったときには、力を抜いたり、背中を押したりしてくれるのだ。

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