2018年5月16日水曜日

vol.1635 『ヨハネの第三の手紙』(自己解説)

 ブログ「東海・旅の足跡」をお読みいただき、ありがとうございます。

 一 長老のわたしから、真実に愛している親愛なるガイオへ。
 九 わたしは少しばかり教会に書きおくっておいたが、みんなのかしらになりたがっているデオテレペスが、わたしたちを受けいれてくれない。
 一一 愛する者よ。悪にならわないで、善にならいなさい。善を行う者は神から出た者であり、悪を行う者は神を見たことのない者である。
 一二 デメテリオについては、あらゆる人も、また真理そのものも、証明している。わたしたちも証明している。そして、あなたが知っているとおり、わたしたちの証明は真実である。

 手紙の差出人は長老で、受取人はガイオである。文中には、デオテレペスとデメテリオの名前が出てくる。
 長老はガイオに宛てて、真理のうちを歩いて、善にならうように、と。
 文末は以下のとおりに結ばれている。
 

 一三 あなたに書きおくりたいことはたくさんあるが、墨と筆とで書くことはすまい。
 一四 すぐにでもあなたに会って、直接はなし合いたいものである。
 一五 平安が、あなたにあるように。友人たちから、あなたによろしく。友人たちひとりびとりに、よろしく。

 『ヨハネの第三の手紙』を読み終えた後、なぜだか僕は永遠に会えなくなった人たちの顔を思い浮かべた。あの人やこの人のことを。
 そして、僕にも、これを読んでいるあなたにも、平安があるように、と。

 以下は余談。
 僕の口癖の一つは「馬齢を重ねる」で、ブログの中にも頻繁に出てくると自覚しています。事実、馬齢を重ねたからこそ、今日この頃になって、「生きているんじゃない、生かされているんだ」と心底思えるようになりました(だから、いつか死ぬことも)。

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